JAFに加入していると毎月JAFMateという会員誌が送られてきます。
11月号の巻頭エッセイ「幸せって何だろう」が目にとまりました。
ナチス時代、強制収容所送りになったユダヤ人精神科医の話しで始まります。
いつ殺されるかわからない絶望の中で希望を捨てずにいるために、小さなことにかかずらわってその日その日をしのいだというのです。
「今夜の食事にソーセージは入っているだろうか」
「今日は気心の知れた作業グループに入れるだろうか」
このように気がかりを小刻みにすることで絶望を小さくしたことを紹介し、筆者の鷲田清一氏(哲学者)は「希望を小刻みにすること。これがじつは人が幸福になるための算段としていちばんいいのではないか」と書いています。
私も妻が進行性難病とわかったとき大きな絶望感にさいなまれました。
夫婦連れの登山者とすれ違う時、心に穴があくようなむなしさを感じていました。
孫たちが遊びに来ても相手ができないでいる妻が不憫でなりませんでした。
「病気でなかったら…」と考えるたびに、絶望の底なし沼に引きずり込まれていたのです。
でも最近は、丹精込めて作った食事を残さず食べてくれるだけで嬉しいです。
先日の同窓会で、自分の病気をカミングアウトした妻が愛おしくなりました。
明日のしゃきしゃき(通所リハ)は元気で行ってくれるかな?
私も妻との暮らしでは希望を小刻みにして生きていこう。
そう思っています。